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西からの輝き

風邪を引いてしまったらしく、夕飯後は虚ろな体をホットカーペットの温さに救われながら横たえています。
風邪を引く=catch a cold 言い得て妙だなと思います。
全てのこと、発信か受信かどちらかではないか。
例えば呼吸の吸う=受信、はく=発信。
そして、何を受信し、何を発信するかが生きる意味ではないかと。
自分にとって喜び溢れる受信であり、喜び溢れる発信でこそ生きる意味ではないかと。
今からやっていきたいことを人に伝えるための企画書を書くつもりで帰宅したのに伏せってしまった。
その代わり大事なことに気づけたかもしれないです。
IMG_2500それにしても西に輝く夕陽が綺麗で。。。
何度となく記していますが、三輪駅にちょうど4時半ごろ降り立つと夕陽に照らされます。
まだ日没には少し早い高さのこの時、なんて力強く美しい輝きなんだろうと足を止めて見とれてしまってます。
三輪山は神体山であるのは、一身に太陽の光を浴びる地理条件なんだと思います。
どう考えても太陽と山とが何らかやりとりしているとしか見えない。
これはどういうことかと考えると、山とは、太陽の何かを受信しているアンテナ、基地局なのではないかと思います。
その受信した情報に基づいたことが様々な現象となり、我々の暮らしもあるのではないかと。
駅から降りて帰宅するまでの5分とかからない間にそう思い至りました。
けれどそれだけでは説明のつかない気がして、伏せながら思案の続きを先ほどまで。
受信、太陽光や太陽熱、太陽からのとてつもない力、膨大な情報を受信しているだけではなく、山が、地球が、我々が、わずかに発信しているのではないでしょうか。
太陽から受け取る量からしたら、本当に微量ながら 太陽を照らしているのではないかと。
そのことが微かに太陽の動きに影響を与え、そのことは太陽にとって取るに足らぬことでも、我々、地球自身にはとてつもないパワーで跳ね返っているのではないかと。
そういうことなら、諸々、説明がつく気がします。
この地球は太陽の熱や光を浴びるだけではない。
光や熱を放っている。
我々 各個体も、それぞれにどう熱と光を受信しながら、熱と光を放つか。
喜びに基づいた何かを受信し、発信する。
そのことを使命というのではないかと思います。

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