全国の菜の花プロジェクト
菜の花プロジェクトは、滋賀県ではじまり、全国に広がりました。
「おぼろ月夜」の歌詞にあるように、菜の花は日本国中、どこに咲いても、懐かしい原風景を思わせる美しいもの。休耕田・耕作放棄地が再び耕され、全国津々浦々に菜の花畑が広がっていく。。こんな素敵なことはありません。
けれど、「菜の花をいっぱい植えましょう」ということから始まった運動ではないのです。
1970年代、琵琶湖の水質悪化が深刻化して、家庭からの生活排水をなんとかしようと合成洗剤から石鹸をつかう運動が進められました。また回収した廃油から石鹸をつくっていきました。
そのうち石鹸のニーズが飽和状態に。しかし廃油はたまります。
そんな時、ドイツでは菜種油から軽油代替燃料を精製、ガソリンスタンドで販売されていることを知り、視察にいかれます。そして、日本で廃油からバイオディーゼル燃料(BDF)を精製、利用する実践が始まりました。
この廃油回収→BDF精製→利用というサイクルと、栽培した菜種から食用油を精製→学校給食など地域で利用という取り組みが全国に広がっていき、毎年、全国大会「全国菜の花サミット」が開催されています。
環境保全、地域エネルギーと食の自律だけでなく、歴史の見直しなど地域の再生、雇用の創出なども派生させながら、それぞれの地域特性に応じた実践が行われ、持続可能な循環型社会のわかりやすいモデルとなっています。
菜の花プロジェクトネットワーク代表の藤井絢子さんは、お連れ合いの仕事の関係で滋賀に移住。前述の「せっけん運動」や地域の生協立ち上げなどに関わってこられました。福祉施設の建設資金を集めるために企画された、「抱きしめて琵琶湖」というイベントで琵琶湖を人々のつなぐ手が大きなチェーンとなり一周したとき、「これからも琵琶湖に向き合っていこう」と決心されたと共著本の「菜の花エコ革命」に書かれています。
このように福祉や地域経済などとも密接に関わり、たくさんの人と共に歩みながら豊かな社会を作っていく、というのが「菜の花プロジェクト」の核心です。
藤井さんは近くで拝見すると、とても華と品があり、自分なりのおしゃれの仕方をお持ちです。
見習いたい方、後に続きたいとの願いをこめて、お会いするたびツーショットをお願いしています。
詳細は菜の花プロジェクトネットワーク
「おぼろ月夜」の歌詞にあるように、菜の花は日本国中、どこに咲いても、懐かしい原風景を思わせる美しいもの。休耕田・耕作放棄地が再び耕され、全国津々浦々に菜の花畑が広がっていく。。こんな素敵なことはありません。
けれど、「菜の花をいっぱい植えましょう」ということから始まった運動ではないのです。
1970年代、琵琶湖の水質悪化が深刻化して、家庭からの生活排水をなんとかしようと合成洗剤から石鹸をつかう運動が進められました。また回収した廃油から石鹸をつくっていきました。
そのうち石鹸のニーズが飽和状態に。しかし廃油はたまります。
そんな時、ドイツでは菜種油から軽油代替燃料を精製、ガソリンスタンドで販売されていることを知り、視察にいかれます。そして、日本で廃油からバイオディーゼル燃料(BDF)を精製、利用する実践が始まりました。
この廃油回収→BDF精製→利用というサイクルと、栽培した菜種から食用油を精製→学校給食など地域で利用という取り組みが全国に広がっていき、毎年、全国大会「全国菜の花サミット」が開催されています。
環境保全、地域エネルギーと食の自律だけでなく、歴史の見直しなど地域の再生、雇用の創出なども派生させながら、それぞれの地域特性に応じた実践が行われ、持続可能な循環型社会のわかりやすいモデルとなっています。
菜の花プロジェクトネットワーク代表の藤井絢子さんは、お連れ合いの仕事の関係で滋賀に移住。前述の「せっけん運動」や地域の生協立ち上げなどに関わってこられました。福祉施設の建設資金を集めるために企画された、「抱きしめて琵琶湖」というイベントで琵琶湖を人々のつなぐ手が大きなチェーンとなり一周したとき、「これからも琵琶湖に向き合っていこう」と決心されたと共著本の「菜の花エコ革命」に書かれています。
このように福祉や地域経済などとも密接に関わり、たくさんの人と共に歩みながら豊かな社会を作っていく、というのが「菜の花プロジェクト」の核心です。
藤井さんは近くで拝見すると、とても華と品があり、自分なりのおしゃれの仕方をお持ちです。
見習いたい方、後に続きたいとの願いをこめて、お会いするたびツーショットをお願いしています。
詳細は菜の花プロジェクトネットワーク