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静寂の中で

IMG_2176最近は日没少し前に近くの大神神社に参拝しています。
本殿での参拝の後、狭井神社へ行く山道を歩いていた18:48、灯篭に灯りがともりました。
この時間の杜は魂が洗われるような清々しい静寂に包まれています。
薄暗くなってるので、かえって杜全体が嬉々と光り輝いていることが感じられます。
その中で深い息をしていますと、日本中いたるところに鎮守の森がある理由に納得せずにはいられません。
わたしたちが生きていくのに、衣食住 特に食べ物・飲み物なくば生きられないことは意識されていますが、それより何より酸素なければ死にます。空気があることは当たり前すぎて食べ物、飲み物ほど無くなる危機感は持ってないのでは。
1日飲まず食わずでも死ぬことはないと思いますが、酸素なければ5分と命がもたないのですよ。IMG_2143
その酸素製造装置である山、森。われわれの命のため、なんとしてもそれを守るシステムが神社であるといえます。
われわれは生きるために住まいを建てたり、道をつくったり、諸々 環境破壊していかざるを得ないわけですが、酸素の供給を断たれるようなことだけはできないわけです。
そのことをなんとしても守りぬいてきた先祖の知恵が鎮守の森なのですよね。そして今を生きるわれわれが次を生きる者たちのために守り抜くべきものです。
神々たちの光合成という生命活動の副産物、酸素がなければ生きられない地球上の者たち。
それを考えますと、大規模な森林伐採は間違っています。
二酸化炭素が多すぎるようになったという問題は、温暖化以前にわれわれの命に必要な酸素が需要分、供給されなくなるかもしれないという大変なことです。
神々に酸素をいただいた分、二酸化炭素をお返しする。清々しい森の中で深呼吸しながら深い感謝と畏れを持って暮らしたいと思います。

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