梅雨明けの神なる山、神なる雲、神なる空は美しい。
そして太陽。最近はギラギラと燃え盛るような輝きではなく、
いぶし銀の奥底から喜びが呼び覚まされるような光に照らされていると感じる。
神なる太陽から受け取るエネルギーが、年と共に、状況と共に変わってくるのだろう。
昨日、朝からoffice兼自宅にいられたので久々にベランダ発電を再開した。
同時に、たくさんの洗濯物と、もう一つ干したものがある。
それは、しけたアラレ。
春に大きな缶ごといただき、しばらく有難く美味しくいただいていたが、いつからか伝票入れと勘違いして放置してしまった。
気づいたときには、缶に残るアラレは湿って風味が損なわれてしまっていた。
そこで、思いついてフライパンで炒ってみた。アオサと金ゴマを混ぜて。
そうするとすっかり歯ごたえが復活した。
そしてさらに、干してみたのである。
切り干し大根、干ししいたけ、ヒジキ。。。。
干物は太陽エネルギーが入った超パワーフードだと思う。
復活アラレにもパワーをいただきたかったのである。
夕方、出かける直前の急な豪雨のため洗濯物は引き上げたものの、アラレは忘れて再度湿らせてしまったが、晴天の本日に朝から干してまたすぐに復活。
夜に美酒の友となったのは言うまでもない。
質素にシンプルにしなやかに、最強の暮らしをつくります。
昨日のベランダ発電とアラレの天日干しの様子、短い動画にしています。
そして太陽。最近はギラギラと燃え盛るような輝きではなく、
いぶし銀の奥底から喜びが呼び覚まされるような光に照らされていると感じる。
神なる太陽から受け取るエネルギーが、年と共に、状況と共に変わってくるのだろう。
昨日、朝からoffice兼自宅にいられたので久々にベランダ発電を再開した。
同時に、たくさんの洗濯物と、もう一つ干したものがある。
それは、しけたアラレ。
春に大きな缶ごといただき、しばらく有難く美味しくいただいていたが、いつからか伝票入れと勘違いして放置してしまった。
気づいたときには、缶に残るアラレは湿って風味が損なわれてしまっていた。
そこで、思いついてフライパンで炒ってみた。アオサと金ゴマを混ぜて。
そうするとすっかり歯ごたえが復活した。
そしてさらに、干してみたのである。
切り干し大根、干ししいたけ、ヒジキ。。。。
干物は太陽エネルギーが入った超パワーフードだと思う。
復活アラレにもパワーをいただきたかったのである。
夕方、出かける直前の急な豪雨のため洗濯物は引き上げたものの、アラレは忘れて再度湿らせてしまったが、晴天の本日に朝から干してまたすぐに復活。
夜に美酒の友となったのは言うまでもない。
質素にシンプルにしなやかに、最強の暮らしをつくります。
昨日のベランダ発電とアラレの天日干しの様子、短い動画にしています。
今週はじめの連休は実家に帰省していた。
着替えとパソコンとともに持って行ったのは、玉ねぎの皮と、
玉ねぎのみじん切りを酢と砂糖に付け込んだ「酢玉ねぎ」。
酢玉ねぎはカレーの具に。玉ねぎの皮はいつものようにお茶として。
それだけでは物足りずに、カレーを煮込むときのダシにもつかった。
すると、驚いたことに、いろんな具でドロドロしていたのに
煮込まれてグダグダだけど、急にサラサラしてきた。
仕上げにカレールーを入れてからもサラサラ感は変わらず。
玉ねぎの皮が血管サラサラ食材というのもうなずける。
適度にサラサラ感を出したい料理の小技ができてうれしい。
母は、短期記憶がおぼつかなくなっている中、「あの子たちはどうしたの?」と
1日中子どもや孫の「帰り」を心配げに待っている。
今は亡き義母の晩年も、帰宅の遅い家人をひと騒動といえるぐらい心配して待っていた。
このように全力で「待ち続ける人」を繰り返し目の当たりにすると、これは人間(動物?)の本質のひとつなのではないかと思えてくる。
太古の昔にさかのぼって想像する。
自分や家族や仲間の食糧など暮らしの糧のものを調達するために力と技のある人が狩りなどに遠征する。
そして、住まいでその帰りを待っているほうのDNAが今に生きるわたしたちの何割かが受け継いでいるのではないかと思う。
その昔、帰りを待つ方もある程度の年齢になっていれば、何か作業はしていたのではないか。
道具の補強、住まいの修繕、炊き出しの準備、木の実の採集など。
そのうち、近くを耕して何か栽培するという中期スパンの作業もやりはじめたのではないか。
わたしが待つ方だったら下手なりにそうしているだろう。遠征に行く方も、残る者に何も持ち帰れないときのために備え、たくわえをしておいてもらうと安心できる。
そう考えると、歴史の順番が狩猟生活の次に農耕生活がやってきたとされるのは違うのではないか。
1世代間という短期サイクルの中ではその順番かもしれないが、狩猟時代の次が農耕時代と考えるには無理があるように思う。
「待つ方」の栽培がうまく継続的、定着的になってくると、食料としてのたんぱく源や、衣・住の材料の調達の多くが事足りてきて、遠征による調達がより少なくてよくなってくる。
次第に、暮らしのベースはその場での自給自足で、
足らずを狩りなのか、略奪なのか、遠征により調達する。
そのことがゼロに近いほど豊かということだ。
では、そのような豊かな地の暮らしに、
やはり生きるために遠くから略奪しに来た場合どうするか。
何か道具を持って防衛するのではないか。
または先住している自分たちに極力デメリットがない形で、
侵入者の共生を許す。
あるいは物か技術か何か交換する。
それが神話に書かれているところの「国譲り」や水田耕作の取り込みではなかったのか。
そう考えると何か最強かというと、遠くに行ける力、征服する力よりは、最終的には
その場で自給自足でき、なおかつ最低限の防衛力があり、交渉力がある状態であるといえる。
とりわけ、太陽エネルギーをいかに多く取り込めるかが生きる力の強さではないのか。
このように考えても、征服する力をつけるのではなく、最大限自給自足する力が本当の国力ではないかと思える。
明日は参議院選挙の投票日。そのような最強の国力へと誘導できる人を選びたいと思う。
着替えとパソコンとともに持って行ったのは、玉ねぎの皮と、
玉ねぎのみじん切りを酢と砂糖に付け込んだ「酢玉ねぎ」。
酢玉ねぎはカレーの具に。玉ねぎの皮はいつものようにお茶として。
それだけでは物足りずに、カレーを煮込むときのダシにもつかった。
すると、驚いたことに、いろんな具でドロドロしていたのに
煮込まれてグダグダだけど、急にサラサラしてきた。
仕上げにカレールーを入れてからもサラサラ感は変わらず。
玉ねぎの皮が血管サラサラ食材というのもうなずける。
適度にサラサラ感を出したい料理の小技ができてうれしい。
母は、短期記憶がおぼつかなくなっている中、「あの子たちはどうしたの?」と
1日中子どもや孫の「帰り」を心配げに待っている。
今は亡き義母の晩年も、帰宅の遅い家人をひと騒動といえるぐらい心配して待っていた。
このように全力で「待ち続ける人」を繰り返し目の当たりにすると、これは人間(動物?)の本質のひとつなのではないかと思えてくる。
太古の昔にさかのぼって想像する。
自分や家族や仲間の食糧など暮らしの糧のものを調達するために力と技のある人が狩りなどに遠征する。
そして、住まいでその帰りを待っているほうのDNAが今に生きるわたしたちの何割かが受け継いでいるのではないかと思う。
その昔、帰りを待つ方もある程度の年齢になっていれば、何か作業はしていたのではないか。
道具の補強、住まいの修繕、炊き出しの準備、木の実の採集など。
そのうち、近くを耕して何か栽培するという中期スパンの作業もやりはじめたのではないか。
わたしが待つ方だったら下手なりにそうしているだろう。遠征に行く方も、残る者に何も持ち帰れないときのために備え、たくわえをしておいてもらうと安心できる。
そう考えると、歴史の順番が狩猟生活の次に農耕生活がやってきたとされるのは違うのではないか。
1世代間という短期サイクルの中ではその順番かもしれないが、狩猟時代の次が農耕時代と考えるには無理があるように思う。
「待つ方」の栽培がうまく継続的、定着的になってくると、食料としてのたんぱく源や、衣・住の材料の調達の多くが事足りてきて、遠征による調達がより少なくてよくなってくる。
次第に、暮らしのベースはその場での自給自足で、
足らずを狩りなのか、略奪なのか、遠征により調達する。
そのことがゼロに近いほど豊かということだ。
では、そのような豊かな地の暮らしに、
やはり生きるために遠くから略奪しに来た場合どうするか。
何か道具を持って防衛するのではないか。
または先住している自分たちに極力デメリットがない形で、
侵入者の共生を許す。
あるいは物か技術か何か交換する。
それが神話に書かれているところの「国譲り」や水田耕作の取り込みではなかったのか。
そう考えると何か最強かというと、遠くに行ける力、征服する力よりは、最終的には
その場で自給自足でき、なおかつ最低限の防衛力があり、交渉力がある状態であるといえる。
とりわけ、太陽エネルギーをいかに多く取り込めるかが生きる力の強さではないのか。
このように考えても、征服する力をつけるのではなく、最大限自給自足する力が本当の国力ではないかと思える。
明日は参議院選挙の投票日。そのような最強の国力へと誘導できる人を選びたいと思う。
半年程前、WordやExcelを使っていると誘導される「OneDrive」についてパソコン教室の受講生さんから問い合わせがあった。
OneDriveとはひとことでいうと、クラウドというインターネット上のデータ保管庫のひとつで、マイクロソフト社が提供している。他にはGoogle社の「GoogleDrive」やアップル社の「iCloud」などがある。
やれること、保存容量に制限はあるものの、独自の保管庫として「アカウント」を作成すれば誰でも無料で利用できる。
以前より、GoogleDriveもOneDriveも主に膨大になりがちな画像置き場として使用していたが、ご質問をいただいたこともあって、検証のために最近新たにもう一つ、ObeDriveにアカウントを作ってみた。
それが数日前に実家に帰省した時に、思いがけず役に立ったので参考までに例として挙げておこうと思う。
入籍した二女の記念写真のデータをUSBメモリで本人たちからもらっていた。孫の幸せな姿をコンビニでプリントアウトして母や叔父に見せたいと思っていたが、そのUSBメモリを持ってくるのを忘れてしまった。
けれど幸いなことに、実家に帰省する前に、夫などと写真を共有するために、念のため新しいアカウントのOneDriveにアップロードしておいたので、持参したパソコンでOneDriveにログインしてアップされている記念写真をまずダウンロードして自分のスマートフォンに送信した。
(スマートフォンからOneDriveにアクセスして画像を取り込むことも可能)
スマホに保存した記念写真を、セブンイレブンでプリントアウトをするためのアプリで読み込み、プリント番号を取得。
それをセブンイレブンのプリンターに入力して、はれてウェディング写真を出力して母たちに見せることができた。
今後、親せきなど関係者にこの画像データがあるOneDriveのリンクURL(Web上のアドレス)をメールなどで教えれば、どこからでもデータを見たりダウンロードしてもらったりが可能だ。
質素にシンプルにしなやかに、最強の暮らしをつくります。
OneDriveとはひとことでいうと、クラウドというインターネット上のデータ保管庫のひとつで、マイクロソフト社が提供している。他にはGoogle社の「GoogleDrive」やアップル社の「iCloud」などがある。
やれること、保存容量に制限はあるものの、独自の保管庫として「アカウント」を作成すれば誰でも無料で利用できる。
以前より、GoogleDriveもOneDriveも主に膨大になりがちな画像置き場として使用していたが、ご質問をいただいたこともあって、検証のために最近新たにもう一つ、ObeDriveにアカウントを作ってみた。
それが数日前に実家に帰省した時に、思いがけず役に立ったので参考までに例として挙げておこうと思う。
入籍した二女の記念写真のデータをUSBメモリで本人たちからもらっていた。孫の幸せな姿をコンビニでプリントアウトして母や叔父に見せたいと思っていたが、そのUSBメモリを持ってくるのを忘れてしまった。
けれど幸いなことに、実家に帰省する前に、夫などと写真を共有するために、念のため新しいアカウントのOneDriveにアップロードしておいたので、持参したパソコンでOneDriveにログインしてアップされている記念写真をまずダウンロードして自分のスマートフォンに送信した。
(スマートフォンからOneDriveにアクセスして画像を取り込むことも可能)
スマホに保存した記念写真を、セブンイレブンでプリントアウトをするためのアプリで読み込み、プリント番号を取得。
それをセブンイレブンのプリンターに入力して、はれてウェディング写真を出力して母たちに見せることができた。
今後、親せきなど関係者にこの画像データがあるOneDriveのリンクURL(Web上のアドレス)をメールなどで教えれば、どこからでもデータを見たりダウンロードしてもらったりが可能だ。
質素にシンプルにしなやかに、最強の暮らしをつくります。
午後からは急用で10代を過ごした京都・伏見入り。当時の氏神様であり、巫女もさせてもらった藤森神社に久々の参拝。境内に入った瞬間から、数日間悩まされていたダルさが抜けていくぐらいの圧倒的なパワーを浴びた。こちらにまします絶大なるスサノオ大神様ほか八百万の神々たち。「強気」授けたもう勝運の神様。勝負からは縁遠いという意識だったが、思えば今まで、こちらの神様のおかげで勝ち続けてきたではないか。本殿への向かう参道でそのように、ここ数十年を一瞬で振り返った。
もちろん、ほとんど争わない暮らしだったが、勝ち負けを決しようとするモノ、審判を下そうとするものに、断固それをさせないで来たのだ。
わたしをジャッジするなど、あなた100年早いわ。そういう風に勝たせてもらってきたことを思い出したので、これからもそのように勝たせてもらおうと思う。
今ちょうど参院選の最中で、今月下旬には選挙区、比例区で「勝ち負け」がいったん決まる。
でも議員になった人、議員の数が多い党の天下だと勘違いしてもらっては困る。
大なり小なりの勢力の形ができただけだ。小さな勢力のアリの一穴が大きな風穴になる場合もあるし、「勝った」なら、ぽきんと折れるのは時間の問題だ。
1000万人の勢力か5人の勢力かはわからないが、わたしも勢力の主体的な一員になって世の中を形作っていこうと思う。
午前中は奈良県宇陀市と地元企業の植平工業株式会社との災害時協定調印式の場に参加した。一つの地元企業が自社にできる地域貢献を具体的に提案、実践してのことだ。世の中を形作っていくのはそのような「主体勢力」だと思う。
神さまのご実体は「木」であると思う。それぞれに、どちらかの木々にスポンサーになっていただき、この世に活かされている。
そのスポンサーのエネルギー源である太陽との一体化こそが神なる木と活かされる我々の「喜び」なんだと思う。
だから、わたしはこれからも負け知らずで、自分サイズで邁進するのみ。
もちろん、ほとんど争わない暮らしだったが、勝ち負けを決しようとするモノ、審判を下そうとするものに、断固それをさせないで来たのだ。
わたしをジャッジするなど、あなた100年早いわ。そういう風に勝たせてもらってきたことを思い出したので、これからもそのように勝たせてもらおうと思う。
今ちょうど参院選の最中で、今月下旬には選挙区、比例区で「勝ち負け」がいったん決まる。
でも議員になった人、議員の数が多い党の天下だと勘違いしてもらっては困る。
大なり小なりの勢力の形ができただけだ。小さな勢力のアリの一穴が大きな風穴になる場合もあるし、「勝った」なら、ぽきんと折れるのは時間の問題だ。
1000万人の勢力か5人の勢力かはわからないが、わたしも勢力の主体的な一員になって世の中を形作っていこうと思う。
午前中は奈良県宇陀市と地元企業の植平工業株式会社との災害時協定調印式の場に参加した。一つの地元企業が自社にできる地域貢献を具体的に提案、実践してのことだ。世の中を形作っていくのはそのような「主体勢力」だと思う。
神さまのご実体は「木」であると思う。それぞれに、どちらかの木々にスポンサーになっていただき、この世に活かされている。
そのスポンサーのエネルギー源である太陽との一体化こそが神なる木と活かされる我々の「喜び」なんだと思う。
だから、わたしはこれからも負け知らずで、自分サイズで邁進するのみ。
質素にシンプルにしなやかに、最強の暮らしをつくります。
本日、奈良県宇陀市大宇陀にある山本建設さんの営農型太陽光発電所で見学会を開催しました。
こちらの見学会にかかわるのは3回目で、今回は奈良県中小企業家同友会環境問題委員会主催の見学会でした。
ソーラーシェアリングと言われる、この営農型太陽光発電所に関心のある人たちの間では千葉県匝瑳市にあるメガソーラー級の先進地が知られていますが、こちらは1反ほどのどこにでもある畑や田んぼでやれる例、地域密着型企業による施工の好例ではないかと思っています。
初期費用や作物の収穫量見通しなど、それなり準備にハードルもあるかと思いますが、奈良で、全国で、広がってほしい事業だとは思っています。
自然が豊かな地域は、食料とエネルギーも本来潤沢であり、余剰分を都会に売るということが当たり前ではないかと思います。
日本昔話に出てくる世界。。村のおじいさんが食べ物も薪も町に売りに行く話。
今でも農家とは食料とエネルギーと両方売る生業ではないかと思います。
ソーラーシェアリングの意味はそういうことだと思っています。
本日、奈良県宇陀市大宇陀にある山本建設さんの営農型太陽光発電所で見学会を開催しました。
こちらの見学会にかかわるのは3回目で、今回は奈良県中小企業家同友会環境問題委員会主催の見学会でした。
ソーラーシェアリングと言われる、この営農型太陽光発電所に関心のある人たちの間では千葉県匝瑳市にあるメガソーラー級の先進地が知られていますが、こちらは1反ほどのどこにでもある畑や田んぼでやれる例、地域密着型企業による施工の好例ではないかと思っています。
初期費用や作物の収穫量見通しなど、それなり準備にハードルもあるかと思いますが、奈良で、全国で、広がってほしい事業だとは思っています。
自然が豊かな地域は、食料とエネルギーも本来潤沢であり、余剰分を都会に売るということが当たり前ではないかと思います。
日本昔話に出てくる世界。。村のおじいさんが食べ物も薪も町に売りに行く話。
今でも農家とは食料とエネルギーと両方売る生業ではないかと思います。
ソーラーシェアリングの意味はそういうことだと思っています。
質素にシンプルにしなやかに、最強の暮らしをつくります。
6月30日、上半期の締めくくり日であり、特別な日として過ごしました。
久々に再会した友人と拙宅でかけがえのない会食の時を過ごしたあと、14時過ぎ、雨が激しくなりかけていましたが、大神神社で15時に行われる神事「夏越しの大祓」に間に合うよう家を出ました。
拙宅からは二の鳥居に5分ほどで到着します。雨量も多くなっているのに関わらず車も人も参拝の列をなしています。
まず手水舎手前の祓戸神社に傘をさしながら参拝。このころ雨は一層激しくなり、にわかに中央社殿へいく階段わきは滝となり、手水舎前には川筋が出現。
社殿といい、階段と言い、そこかしこが滝となり、川となって轟音と共に雨が勢いよく流れていきます。
山の急斜面の渓流から大海原、地底へと祓戸四神が次々に繰り広げる浄化のリレー。大祓祝詞に描かれている浄化のストーリーのそのはじめ、まさに瀬織津姫の大神の御働きそのままの世界が目の前に広がっていました。
古来、このような川筋が出現するほどのにわかな大雨をありがたい浄化現象として畏れ敬ってきたことが神事となり、祝詞となり残っているのでしょう。
梅雨とはありがたい恵みの季節、尊い神なる神羅万象のひとつであるといえます。
ずぶぬれになりながら地球の大循環システム、偉大なるエネルギーを感じていました。
そのような大雨のピークが夏越しの大祓の直前となり、急遽、室内神事に切り替わり、参拝者は儀式殿内に入れていただきます。それもやがて満杯状態となり、儀式殿前にテントが張られ、室内に入れなかった方々はそちらに誘導されていました。
15時となり、宮司の大祓祝詞奏上や、参拝者一人ひとりに配布されたひとがたでの祓いの所作、それを集めて縄舟に乗せ、川へ流す所作など行われていきます。
不思議なことに、神事が行われるうち、激しかった雨が上がっていき、空に光がさしてきたタイミングで、宮司様、神職様たちの後につづく長蛇の列が茅の輪くぐりを行い神事終了となりました。
前述した社殿前の大雨による滝の出現、川筋の出現の動画をアップしました。
この二度とない幸運、神の恵みにたくさんの方が浴すことができますように。
6月30日、上半期の締めくくり日であり、特別な日として過ごしました。
久々に再会した友人と拙宅でかけがえのない会食の時を過ごしたあと、14時過ぎ、雨が激しくなりかけていましたが、大神神社で15時に行われる神事「夏越しの大祓」に間に合うよう家を出ました。
拙宅からは二の鳥居に5分ほどで到着します。雨量も多くなっているのに関わらず車も人も参拝の列をなしています。
まず手水舎手前の祓戸神社に傘をさしながら参拝。このころ雨は一層激しくなり、にわかに中央社殿へいく階段わきは滝となり、手水舎前には川筋が出現。
社殿といい、階段と言い、そこかしこが滝となり、川となって轟音と共に雨が勢いよく流れていきます。
山の急斜面の渓流から大海原、地底へと祓戸四神が次々に繰り広げる浄化のリレー。大祓祝詞に描かれている浄化のストーリーのそのはじめ、まさに瀬織津姫の大神の御働きそのままの世界が目の前に広がっていました。
古来、このような川筋が出現するほどのにわかな大雨をありがたい浄化現象として畏れ敬ってきたことが神事となり、祝詞となり残っているのでしょう。
梅雨とはありがたい恵みの季節、尊い神なる神羅万象のひとつであるといえます。
ずぶぬれになりながら地球の大循環システム、偉大なるエネルギーを感じていました。
そのような大雨のピークが夏越しの大祓の直前となり、急遽、室内神事に切り替わり、参拝者は儀式殿内に入れていただきます。それもやがて満杯状態となり、儀式殿前にテントが張られ、室内に入れなかった方々はそちらに誘導されていました。
15時となり、宮司の大祓祝詞奏上や、参拝者一人ひとりに配布されたひとがたでの祓いの所作、それを集めて縄舟に乗せ、川へ流す所作など行われていきます。
不思議なことに、神事が行われるうち、激しかった雨が上がっていき、空に光がさしてきたタイミングで、宮司様、神職様たちの後につづく長蛇の列が茅の輪くぐりを行い神事終了となりました。
前述した社殿前の大雨による滝の出現、川筋の出現の動画をアップしました。
この二度とない幸運、神の恵みにたくさんの方が浴すことができますように。