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きょう、電車の窓を流れる建物、草花、雲。。を観ていて、これはすべて太陽の熱と光の注がれた結果できたものだという真理が思い浮かんできました。
地球上の万物、たとえ人工であってもすべて、太陽に働きによるものです。
それを浴するのを均一にするための自転という調整は地球側でしているものの、とにかくすべて太陽の熱と光なくして生まれたものはありません。
そして生み出された後も、与えられるのみ。
こちらから太陽に与えているものはなく、絶大な力を与えられているのみ。
風、雨、雷などのすごい力の神羅万象も太陽の作用の結果であるのですから、それらのどのエネルギーより、まして人間がどんなに英知を結集して創造したとして、永遠にその力に勝ることはない、それが太陽の力であり、永遠に「主力エネルギー」であることは間違いありません。
なので、その動き、作用に沿った暮らしをするのが一番コストパフォーマンスが良いということになります。
太陽とは、そういう神であります。
それに比べて、森の木々は、我々との間に、圧倒的にこちらが受け取る者の方が多いものの、呼吸という「ギブ&テイク」が成り立つ神であると言えるのではないかと思います。
それが「祈りがかなう」正体であるのではないでしょうか。
そのこともまた日を改めて記してみたいと思います。

本日、久々にミニ発電の短い動画をアップいたしました。
夏の日の西日での庭先発電の様子、ご覧ください。

C1EF9102-A4C1-4547-8600-DAFFBE6959EB夫が旅のおともに空港で買ったというサクマドロップス。
何年ぶりだろう。どんな他の飴よりもおいしい。
缶の中で飴同士がくっつかず、食感もさらっとしているのが不思議だ。
映画「火垂るの墓」にも登場していたぐらいだから超ロングセラーということになる。

十数年前、高山の環境保全をしている人から、山のゴミで案外目立つのは、飴の袋だという話を聞いたことがある。
それ以来、心ひそかに「飴ちゃんの小袋」のことが気になっていた。
室内ゴミとしても、どうも生ゴミに紛れ込みがちだし、屋外でも高山に限らず、地味にやっかいなゴミだと思う。

わたしが赤ちゃんの時に一緒に暮らしていた祖母は、部屋の掃除について「大きな粗ゴミなんかはあってもいいんだよ。小さなゴミが子どもの体に刺さったり、口に入ったりしたら大変だ」と言っていたと母に聞いたことがある。
ホコリや画びょうのようなものを気を付けようという意味だったのだろうが、これは後の時代に普及した「飴ちゃんの袋」も当てはまるのではないだろうか。
小さいくせに、土壌や水中で分解しないだけでなく、赤ちゃんや動物が口に入れかねないことを考えると、罪作りなものだ。17FE61AD-A7C0-45F3-A097-F78C72A551DB

べとつくし、衛生上も良くないので1個1個小袋に入っているのも致し方がないが。。。
海洋でのプラスチック汚染が注目されるようになった今、ちょっと言いやすくなった。
旅のおともには、「おひとついかが」と回ってくる善意の飴ちゃんがつきものだが、
いま再び「サクマドロップス」がスタンダードになれば良いなと思う。

防カビ対策

2019年08月08日
7DE06758-7E8C-4E50-8F34-35D95796DD07フェイスブックでシェアされていたお風呂で防カビに、線香を炊くとよいとのブログ記事を読みました。
ラブリープレス
早速 蚊取り線香を風呂場につけました。
そして盆準備で帰った田舎の本宅の風呂場はもちろん、部屋、台所など何ヶ所かで同時に蚊取り線香を炊き、仏壇では線香をいる間じゅう絶やさず焚いてみました。
忘れられてた 夏の風物詩 ブタさんもいきなり出番です。3B55A2A3-EC80-4196-AC50-4662820ADCE8
今まで潜在的にもわかっていながら、なぜ気合いを入れてこれをやってこなかったのでしょう。
湿気の多い日本の風土に住む知恵として、線香には虫除けや仏事の意味だけでなく、除湿目的もあったということです。
お盆の時期に入れ替わり立ち替わり仏壇で線香を灯すことが、家屋をカビから守ることにもなっていたんですね。
この夏はマメに蚊取り線香をつけて、年間を通して仏壇に線香を朝夕ともそうと思います。
浄化の本質は除湿でもあるだろうと思います。
生物はそこでは住みづらいものの、砂漠が地球規模では浄化に必要な場所であるのでしょうし。
そういえば、田舎の本宅、前回帰宅した時に神棚にお供えした塩は、水と化していました。
塩にも浄化=除湿効果があるということで、魔除けのための盛り塩というのも、物理的にはそういうことであるのでしょう。
信仰と健康な暮らし、近しいものがあります。
質素にシンプルにしやなかに、最強の暮らしをつくります。

夏のスタミナ

2019年08月05日
A392EFB9-F15F-47AC-B8C2-2CC50E75ED38夫の出張中を好機に昨夜は大神神社に夜参拝のあと晩ご飯と今朝のご飯 の2食抜きのプチ断食。
断食明けの遅いランチ兼晩ご飯は、
青のり&金ごま&頂き物の緑効青汁をまぶしたナスの天ぷらと玉ねぎ&人参のかき揚げも少々。
三輪そうめんにキューリのピクルス、粗い錦糸卵、干し椎茸の佃煮を添えて。そうめんつゆは、干し椎茸汁で割った。
暑い夏にそうめんだけとしても、栄養がないわけではないのが昔の人の知恵。そうめんつゆを煮干し、昆布、鰹節、そして干し椎茸で取ればパワー満点になるわけである。
そう気づいたので、出来合いのそうめんつゆでなく、思いきりコクのあるパワフルそうめんつゆ、お盆にはつくろう!
三輪山の近くに住んでみると、お山の「流れる」浄化力と生み出される氣のパワーがすごさを感じる。
そんな場所でつくられた三輪そうめんに、太陽エネルギーをたくさん浴びた干し椎茸、その他諸々の恵み、最強のパワーフードいただきます。905FA1BF-20A3-4E0E-AFF4-E1DF14C0D235

sdgs_1最近はビジュアル的にもひきつくられるものがあるSDGs(国連 持続可能な開発 17の目標)に注目しています。
自分の仕事にも積極的に取り入れたいと思っています。
まずはホームページのトップに、SDGs17の目標のうち、何を重視した活動かを3つチョイスして掲示しています。
まだまだ成果は上がっていませんが、こういう掲示も事業上の戦略だと思っています。HPトップ画像

戦略といえば、往年の大女優、オードリーヘップバーンの晩年もなかなかの「戦略家」だったんだな、と思えるような情報がフェイスブック上の投稿に上がっていました。
オードリーヘップバーンのことはいつか記してみたいと思っていたので、ちょうど良い機会なので「シェア」したいと思います。
オードリーヘップバーンが60代前半で亡くなる数日前に、下記の詩を息子さん2人に読んで聞かせたそうです。

その何年か前に、オードリーヘップバーンは初老の魔法使いか何かで映画出演されていました。
世の中の特に男性は、一般の人たち、そして映画評論家まで「(若い時の)妖精のような姿だけを観たかった。年老いた姿が見たくなかった」というのが大抵の感想でした。
わたしはその多数意見に強い違和感がありました。
ほどなくして、「Vogue」誌か何か、ファッション雑誌にオードリーヘップバーンのロングインタビュー記事が載っていました。
そこには彼女がソマリア内戦地を訪れて支援活動をしていることが語られていました。
それは女優が「友好使節団」のシンボルとして愛想をふりまいた、という生易しいものではなく、「ソマリアは一夫多妻制なので。。。」「ソマリアの宗教は。。。」と細部までは覚えていませんが、現地に入り込んで、深く交わらなければわからない当地の事情が語られていました。
それを読んで、まだ20代で、小さな子どものいたその時のわたしは、彼女に深く尊敬の念を抱き、スター然としていない姿にかえって強いあこがれをいだいたものでした。
今、改めてネット上で検索すると、晩年の数年間はユニセフの親善大使として困難を抱えたさまざまな地域に出向いていたようです。
そして最後にソマリアの難民キャンプを訪問した時のことが、わたしの目にしたインタビュー記事だったようです。
それから間もなくして、新聞報道で彼女の病死を知りました。その記事には「国連筋によると。。。」と情報元が記されていました。
往年の大女優の死を知らせる情報元がハリウッド筋ではなく、国連筋であるということを、少し早い残念な死の報とはいえ、うれしく思いました。
彼女自身やお身内も誇らしいのではないかと思いました。
かっこいい生き方であったと思います。

そして下記の美しさについて語られいる詩を読むと、例えば「スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい」とあります。
彼女作の詩かどうかはわかりませんが、そのような価値観であったことは間違いありません。
そして、国連での活動も、一生涯「美しく」あるための、したたかでしなやかな戦略であったのだと、今改めて確認できました。

わたしも華麗なる戦略家として後に続きたいと思います。
質素にシンプルにしなやかに、最強の暮らしをつくります。



『時を越えた美しさの秘密』
"Time Tested Beauty Tips" ―Sam Leveson

魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
For attractive lips, speak words of kindness.

愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
For lovely eyes, seek out the good in people.

スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
For a slim figure, share your food with the hungry.

豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
For beautiful hair, let a child run his fingers through it once a day.

美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。
For poise, walk with the knowledge you'll never walk alone ...

物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、
People, even more than things, have to be restored, renewed, revived,

何度でも再出発することができます。
reclaimed and redeemed and redeemed ...

誰も決して見捨ててはいけません。
Never throw out anybody.

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。
Remember, if you ever need a helping hand,
you'll find one at the end of your arm.

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。
As you grow older you will discover that you have two hands.

ひとつの手は、自分自身を助けるため、
もうひとつの手は他者を助けるために。
One for helping yourself, the other for helping others.

女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、
The beauty of a woman is not in the clothes she wears,

その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるのでもありません。
the figure that she carries, or the way she combs her hair.

女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
The beauty of a woman must be seen from in her eyes,

そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。
because that is the doorway to her heart,

女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
The beauty of a woman is not in a facial mole,

その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
but true beauty in a woman is reflected in her soul.

それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
It is the caring that she lovingly gives, the passion that she shows,

その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。
and the beauty of a woman with passing years only grows!