本宅の納屋と離れを解体するにあたり、久々にモノの整理をしました。
今は亡き義母の着物、お嫁入りのときのか、年配になってからのよそ行きだったかわかりませんが、義母本人だけでなく、身内の思い出の服だったりするでしょうから、リサイクルに出すのは申し訳ないと思いました。
そこで、お店にお願いして洋服化していただこうと思っています。
お裁縫が苦手な私にとって、着物のリメイクは憧れではあっても、なかなかにハードルが高かったのですが、今は身近にお願いできるお店も見つかり、ちょっとロングスパンで、義母の着物を順番に洋服化、小物化する計画です。
それで、自作の廃油石鹸で洗い、天日干し。
以前に別のお店で古布を加工していただいた時、洗わず干さずそのままお店に渡したら、痒くなられたとのことでしたので、古着を加工に出す場合は、必ず洗って、しばらく天日で虫干しせてからと思ってます。
よく、運気を上げるにはモノを捨てることが定石のように言われます。
確かに最小限のものでシンプルに暮らすことは幸運につながることはその通りだろうと思います。
けれど、自分の目の前から無くなればすっきり、という発想はモッタイナイ文化の礎がある日本人としては疑問です。
モノを循環させる。巡らせる。活かす。
そのための修繕技術だったり、別のものに変える技術だったり、そういうものに高い価値がある、という文化をよみがえらせたいものです。
田舎の本宅(夫の実家)では、間もなく納屋と蔵の解体がはじまります。
それであれこれ家の敷地の写真を撮っていて思い出したこと。
我が家の敷地やその近くには、電信柱があります。
トトロに出でくるような、いかにも田舎の電線ですね。
太陽光発電に適した場所、というのは、日当たりが良い場所ということはもちろんなのですが、もし売電するなら、電柱に近いかどうかが大きいのです。
今は、蓄電池も設置しての自給型をおすすめしますが、小さな発電所が全国津々浦々に無理のない規模でたくさんあるのもまた、望ましい未来だと思っていますので、そんな未来の小さな発電所の一つになれるかどうか、その条件に電柱との近さもあること、片隅に覚えておいていただければと思います。
お彼岸から、はや半月たちました。
夏至のころ、三輪山から昇ってきたお日さまも、お山を外れた東南付近からお出ましです。
雨続きの連休明けの朝の太陽拝は、ポカポカと気持ちよいです。
夜中には雨が降ったのでしょうか。
目の前の草むらには朝露がたくさん。
太陽に照らされた無数のつゆ達は気体になり、天に昇っていきます。
そのことを浄化といったりするのでしょうね。
エネルギーの自給が進んで、全世界が相互に豊かになります。
良い言葉で、良い物事が伝わり、良い物事になって広がります。
わたしの周りのさまざまな物事が結びついて、みんなが幸せになります。
アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ
絶大なお力をいただきます。