4月21日の午前7時半と11時半、奈良県桜井市三輪の拙宅2階ベランダでの発電(蓄電)の様子の動画をアップしました。
この日は朝から雲一つない快晴。春分の頃は前述しましたように、太陽が昇ってくる位置、沈む位置で自分のいる場所からほぼ真東、ほぼ真西を確認する時です。
それが年間を通しての生活の基準ともなる大事な時だと思っています。
また、日射が夏に向かって徐々に強くなっていくことを意識する時でもあります。
そのような節目で発電の様子を計測してみました。
いつもはどちらかというと無造作にソーラーを置いていましたが、東を確認する意味でもこの日は太陽の真向かいにソーラーを向けたところ、今までにない発電量を計測しました。
ソーラーの設置角度より、太陽と真向かいになることが発電量のためには大事なことがわかりました。
このことから、大規模なソーラーですとヒマワリのような太陽追尾型の装置は理にかなっている、単純に言えば発電効率がよいとは言えます。
ささやかな発電ライフの一端をご覧ください。
春分の頃の朝のベランダ発電
春分の頃の昼のベランダ発電
この日は朝から雲一つない快晴。春分の頃は前述しましたように、太陽が昇ってくる位置、沈む位置で自分のいる場所からほぼ真東、ほぼ真西を確認する時です。
それが年間を通しての生活の基準ともなる大事な時だと思っています。
また、日射が夏に向かって徐々に強くなっていくことを意識する時でもあります。
そのような節目で発電の様子を計測してみました。
いつもはどちらかというと無造作にソーラーを置いていましたが、東を確認する意味でもこの日は太陽の真向かいにソーラーを向けたところ、今までにない発電量を計測しました。
ソーラーの設置角度より、太陽と真向かいになることが発電量のためには大事なことがわかりました。
このことから、大規模なソーラーですとヒマワリのような太陽追尾型の装置は理にかなっている、単純に言えば発電効率がよいとは言えます。
ささやかな発電ライフの一端をご覧ください。
春分の頃の朝のベランダ発電
春分の頃の昼のベランダ発電
昨日、春分の日の入りの動画をアップしました。
拙宅のある奈良県桜井市三輪、三輪山のふもとからのぞむ二上山に沈む夕日です。
わたしは、少女時代を伏見稲荷大社の近くで過ごしました。
自宅から見て、稲荷山があるほうが東、ということが方位の基準となりました。
奈良市に住んでからは春日山がほうが東、そして今は三輪山があるほうが東、という方位感覚で暮らしています。
人は誰でも太陽を意識する日が、少なくとも年4回あるべきだと思っています。
春分、夏至、秋分、冬至。
春分と秋分は自分の住まいなどの立ち位置から真東、真西を確認する日なのです。
そういうことが、どんな教育よりも大事なんじゃないかと思っています。
「お日さま教育」のプログラムを今年は作りたいと思います。
さて、昨日の日の入り時、あれこれしていたら18時近くになってしまい、慌てて外に出ました。
本当は、大神神社近くの展望台に行って日の入りを拝みたかったのですが間に合いそうにないので、自宅に一番近い坂道を平等寺のほうにのぼっていきました。
とりいそぎ、大和三山や葛城の山々が見える位置まで急ぎました。
その坂道の途中で、そこにお住いの方から「二上山に沈む夕日を、見せてあげよう」と声を変えていただき、お庭にお邪魔させていただきました。
ちょうど、二上山のど真ん中に日が沈む瞬間でした。
オレンジ色に染まる山際、そしてその上にくっきりとした春の青色。
ほんとうに息をのむ1,2分でした。
拙宅のある奈良県桜井市三輪、三輪山のふもとからのぞむ二上山に沈む夕日です。
わたしは、少女時代を伏見稲荷大社の近くで過ごしました。
自宅から見て、稲荷山があるほうが東、ということが方位の基準となりました。
奈良市に住んでからは春日山がほうが東、そして今は三輪山があるほうが東、という方位感覚で暮らしています。
人は誰でも太陽を意識する日が、少なくとも年4回あるべきだと思っています。
春分、夏至、秋分、冬至。
春分と秋分は自分の住まいなどの立ち位置から真東、真西を確認する日なのです。
そういうことが、どんな教育よりも大事なんじゃないかと思っています。
「お日さま教育」のプログラムを今年は作りたいと思います。
さて、昨日の日の入り時、あれこれしていたら18時近くになってしまい、慌てて外に出ました。
本当は、大神神社近くの展望台に行って日の入りを拝みたかったのですが間に合いそうにないので、自宅に一番近い坂道を平等寺のほうにのぼっていきました。
とりいそぎ、大和三山や葛城の山々が見える位置まで急ぎました。
その坂道の途中で、そこにお住いの方から「二上山に沈む夕日を、見せてあげよう」と声を変えていただき、お庭にお邪魔させていただきました。
ちょうど、二上山のど真ん中に日が沈む瞬間でした。
オレンジ色に染まる山際、そしてその上にくっきりとした春の青色。
ほんとうに息をのむ1,2分でした。
鐘と炎と漆黒の共演に震えました。
至近距離で拝見したお松明です。
3月12日夜、東大寺二月堂修二会のクライマックス、「お松明」に行ってきました。
超有名な、写真では何度も見る行事。今年は特別な思いが重なって、足を運びました。
一つは、疫病退散と、平和を願いを込めて。
東大寺のホームページによりますと、修二会について
「東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始された。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。
修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた。
東大寺のながい歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである」
とあります。つまり、今年は1269回目ということですね。
また、今回見に行った、お松明は練行衆を先導されるための灯りとありますが、誰もが疫病退散、国家安泰を願う炎だと思わずにはいられないでしょう。
今、新型コロナウイルスで世界中が震撼する未曽有の事態となっていますが、昔より、疫病で苦しんできた日本、人類の歴史が繰り返され、そのたびにそれを沈めんとしたのがこの行事であり、だからこそ1200年以上も続いてきたと思うと感慨ひとしおです。
また、日本の炎をともなう行事というのは、本当に病原体を無害化せしめる、追い払うということが実際あるのではないかと確信しています。
神社やお寺でのお焚き上げ行事や、このようなお松明をあげる炎をともなう行事が何事か悪しきものを消滅、退散させ、浄化し、よきことを成就させてきた、そういう作用があると感じます。
2月15日には大神神社の焼上行事を見た時にも、そのように思いました。
それから、今回お松明に行った思いのもう一つは、この行事に使う竹の調達が最近は厳しくなってきていると、竹アーチストの三橋玄さんのご発信で知ったというのがあります。
主に近畿一円各地より寄進されてきて、今も続けられてはいますが、どんな竹でもよいわけではなく、行事に耐え得るまっすぐな真竹でないとダメで、その条件にかなう竹はごくごくわずかであり、それを見極められる人材にも事欠くという事態だそうです。それで三橋さんもご依頼があってからのここ数年は四方八方手をつくして調達のお手伝いをしているとお聞きしました。
2月11日には、無事調達できた、寄進者の名入りの貴重な真竹が置かれている場所も見に行きました。
そんな実情も知り、これから1000年続ける行事にしていかなければならない、この我々の生きる時代で絶やしてよいはずがない、という思いで、無事、1269回目を行えているありがたさを感じに行きました。
確かに今、世界中が新しい病で人類の命に係わる緊急事態、危機かもしれません。
けれど本当の危機は、放置竹林が周囲に侵食する「竹害」が言われながら、一方で大事な行事につかう竹の調達が危ぶまれるという、今の日本の在り方ではないでしょうか。
家の垣根、生活道具などに粋に竹を取り入れてきた日本文化。でも、軽さ、安価さなどから竹の格好をしながらも違う素材にとって代わられていることが多く、竹の需要がなくなってきたために起こっていることなのです。
竹のことだけでなく「調達できない」ということが危機だと知り合わないといけないと思います。
緊急で重要なこと、時として緊急で実はそれほど重要でないことに追われてしまいますが、持続可能な調達ということには、すぐにはならない、そのようなことに時間をかけてじっくりかかわっていければ良いなと思います。
この行事の会場、東大寺二月堂は奈良盆地を一望できる場所にあり、また世界を見渡すという気概で建立されたものと思っています。
そのような場所での練行衆様のご修行、また童子様の炎を操る様は、自然との共生で平和をつくる、そのことが最強なのだと内外に知らしていることだと思います。
3月12日お松明の動画を撮っています。
一つは、開始直前、直後の10分間で鐘の音と炎の共演に打ち震えました。
もう一つは、至近距離で拝見したお松明の様子です。
ご覧いただければ幸いです。
至近距離で拝見したお松明です。
3月12日夜、東大寺二月堂修二会のクライマックス、「お松明」に行ってきました。
超有名な、写真では何度も見る行事。今年は特別な思いが重なって、足を運びました。
一つは、疫病退散と、平和を願いを込めて。
東大寺のホームページによりますと、修二会について
「東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始された。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。
修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた。
東大寺のながい歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである」
とあります。つまり、今年は1269回目ということですね。
また、今回見に行った、お松明は練行衆を先導されるための灯りとありますが、誰もが疫病退散、国家安泰を願う炎だと思わずにはいられないでしょう。
今、新型コロナウイルスで世界中が震撼する未曽有の事態となっていますが、昔より、疫病で苦しんできた日本、人類の歴史が繰り返され、そのたびにそれを沈めんとしたのがこの行事であり、だからこそ1200年以上も続いてきたと思うと感慨ひとしおです。
また、日本の炎をともなう行事というのは、本当に病原体を無害化せしめる、追い払うということが実際あるのではないかと確信しています。
神社やお寺でのお焚き上げ行事や、このようなお松明をあげる炎をともなう行事が何事か悪しきものを消滅、退散させ、浄化し、よきことを成就させてきた、そういう作用があると感じます。
2月15日には大神神社の焼上行事を見た時にも、そのように思いました。
それから、今回お松明に行った思いのもう一つは、この行事に使う竹の調達が最近は厳しくなってきていると、竹アーチストの三橋玄さんのご発信で知ったというのがあります。
主に近畿一円各地より寄進されてきて、今も続けられてはいますが、どんな竹でもよいわけではなく、行事に耐え得るまっすぐな真竹でないとダメで、その条件にかなう竹はごくごくわずかであり、それを見極められる人材にも事欠くという事態だそうです。それで三橋さんもご依頼があってからのここ数年は四方八方手をつくして調達のお手伝いをしているとお聞きしました。
2月11日には、無事調達できた、寄進者の名入りの貴重な真竹が置かれている場所も見に行きました。
そんな実情も知り、これから1000年続ける行事にしていかなければならない、この我々の生きる時代で絶やしてよいはずがない、という思いで、無事、1269回目を行えているありがたさを感じに行きました。
確かに今、世界中が新しい病で人類の命に係わる緊急事態、危機かもしれません。
けれど本当の危機は、放置竹林が周囲に侵食する「竹害」が言われながら、一方で大事な行事につかう竹の調達が危ぶまれるという、今の日本の在り方ではないでしょうか。
家の垣根、生活道具などに粋に竹を取り入れてきた日本文化。でも、軽さ、安価さなどから竹の格好をしながらも違う素材にとって代わられていることが多く、竹の需要がなくなってきたために起こっていることなのです。
竹のことだけでなく「調達できない」ということが危機だと知り合わないといけないと思います。
緊急で重要なこと、時として緊急で実はそれほど重要でないことに追われてしまいますが、持続可能な調達ということには、すぐにはならない、そのようなことに時間をかけてじっくりかかわっていければ良いなと思います。
この行事の会場、東大寺二月堂は奈良盆地を一望できる場所にあり、また世界を見渡すという気概で建立されたものと思っています。
そのような場所での練行衆様のご修行、また童子様の炎を操る様は、自然との共生で平和をつくる、そのことが最強なのだと内外に知らしていることだと思います。
3月12日お松明の動画を撮っています。
一つは、開始直前、直後の10分間で鐘の音と炎の共演に打ち震えました。
もう一つは、至近距離で拝見したお松明の様子です。
ご覧いただければ幸いです。
写真は3月3日三重県尾鷲市行野浦地区の海。鳳凰が舞う如く雲と穏やかな塩の香りが気持ちよく、癒されました。
自然はどこにあっても偉大です。
1月の全国の主な地点の日照時間と風の強かった時の記録です。
お日様の光が強い時間帯は太陽光発電、早朝・夕方・夜には風力発電 というベストミックスをベースに再生可能エネルギー100パーセントを目指す
という流れにもっていきたいところですが、実際の太陽光と風の動きはどうなのか、年間を通してみていきたいと思います。
1月を見てみますと、太陽光の勢いのある南中前後(11時台―13時台)に風の力も強かった、という場合もあり、一概には昼。晴れ→太陽光、曇り、雨、夜→風力とは一概には言えないのかもしれません。1月の実際の全国の様子を表にしました。
風速日照月報( .pdf / 63.2KB )
春分が近づいてきました。もう春ですね。
3月20日前後、太陽は6時前後にほぼ真東から登り、18時前後にほぼ真西に沈みます。
自分のいる場所から真東、真西を確認する良い機会であり、自然のエネルギーの偉大さを感じるひと時でもあります。
3月20日春分の日の全国の日の出、日の入り時刻と方位をまとめています。
2020年春分の全国の日の出日の入り( .pdf / 51.1KB )
自然はどこにあっても偉大です。
1月の全国の主な地点の日照時間と風の強かった時の記録です。
お日様の光が強い時間帯は太陽光発電、早朝・夕方・夜には風力発電 というベストミックスをベースに再生可能エネルギー100パーセントを目指す
という流れにもっていきたいところですが、実際の太陽光と風の動きはどうなのか、年間を通してみていきたいと思います。
1月を見てみますと、太陽光の勢いのある南中前後(11時台―13時台)に風の力も強かった、という場合もあり、一概には昼。晴れ→太陽光、曇り、雨、夜→風力とは一概には言えないのかもしれません。1月の実際の全国の様子を表にしました。
風速日照月報( .pdf / 63.2KB )
春分が近づいてきました。もう春ですね。
3月20日前後、太陽は6時前後にほぼ真東から登り、18時前後にほぼ真西に沈みます。
自分のいる場所から真東、真西を確認する良い機会であり、自然のエネルギーの偉大さを感じるひと時でもあります。
3月20日春分の日の全国の日の出、日の入り時刻と方位をまとめています。
2020年春分の全国の日の出日の入り( .pdf / 51.1KB )