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玉ねぎの皮と「待つ人」のこと

30C48690-00DE-4752-B8A2-CC7F2C1D22A0今週はじめの連休は実家に帰省していた。
着替えとパソコンとともに持って行ったのは、玉ねぎの皮と、
玉ねぎのみじん切りを酢と砂糖に付け込んだ「酢玉ねぎ」。
酢玉ねぎはカレーの具に。玉ねぎの皮はいつものようにお茶として。
それだけでは物足りずに、カレーを煮込むときのダシにもつかった。
すると、驚いたことに、いろんな具でドロドロしていたのに
煮込まれてグダグダだけど、急にサラサラしてきた。
仕上げにカレールーを入れてからもサラサラ感は変わらず。
玉ねぎの皮が血管サラサラ食材というのもうなずける。
適度にサラサラ感を出したい料理の小技ができてうれしい。

母は、短期記憶がおぼつかなくなっている中、「あの子たちはどうしたの?」と
1日中子どもや孫の「帰り」を心配げに待っている。
今は亡き義母の晩年も、帰宅の遅い家人をひと騒動といえるぐらい心配して待っていた。
このように全力で「待ち続ける人」を繰り返し目の当たりにすると、これは人間(動物?)の本質のひとつなのではないかと思えてくる。
太古の昔にさかのぼって想像する。
自分や家族や仲間の食糧など暮らしの糧のものを調達するために力と技のある人が狩りなどに遠征する。
そして、住まいでその帰りを待っているほうのDNAが今に生きるわたしたちの何割かが受け継いでいるのではないかと思う。
その昔、帰りを待つ方もある程度の年齢になっていれば、何か作業はしていたのではないか。
道具の補強、住まいの修繕、炊き出しの準備、木の実の採集など。
そのうち、近くを耕して何か栽培するという中期スパンの作業もやりはじめたのではないか。
わたしが待つ方だったら下手なりにそうしているだろう。遠征に行く方も、残る者に何も持ち帰れないときのために備え、たくわえをしておいてもらうと安心できる。
そう考えると、歴史の順番が狩猟生活の次に農耕生活がやってきたとされるのは違うのではないか。
1世代間という短期サイクルの中ではその順番かもしれないが、狩猟時代の次が農耕時代と考えるには無理があるように思う。
「待つ方」の栽培がうまく継続的、定着的になってくると、食料としてのたんぱく源や、衣・住の材料の調達の多くが事足りてきて、遠征による調達がより少なくてよくなってくる。
次第に、暮らしのベースはその場での自給自足で、
足らずを狩りなのか、略奪なのか、遠征により調達する。
そのことがゼロに近いほど豊かということだ。
では、そのような豊かな地の暮らしに、
やはり生きるために遠くから略奪しに来た場合どうするか。
何か道具を持って防衛するのではないか。
または先住している自分たちに極力デメリットがない形で、
侵入者の共生を許す。
あるいは物か技術か何か交換する。A2732DF0-5765-413B-8330-7F4680EACDEB
それが神話に書かれているところの「国譲り」や水田耕作の取り込みではなかったのか。

そう考えると何か最強かというと、遠くに行ける力、征服する力よりは、最終的には
その場で自給自足でき、なおかつ最低限の防衛力があり、交渉力がある状態であるといえる。
とりわけ、太陽エネルギーをいかに多く取り込めるかが生きる力の強さではないのか。
このように考えても、征服する力をつけるのではなく、最大限自給自足する力が本当の国力ではないかと思える。
明日は参議院選挙の投票日。そのような最強の国力へと誘導できる人を選びたいと思う。

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