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神社で願いが叶うメカニズム

78698129_2837636872934848_2919487599796027392_n12月10日火曜、三輪駅すぐの拙宅からは一駅北側の箸中地区に用事でいった帰り道、山の辺の道を通って桧原神社、茅原の弁才天、貴船神社、狭井神社、大神神社正殿といつもとは逆コースでお参りしてきました。
伏見稲荷大社近くに住んだ子どもの時代より、神社参拝は年間を通して生活の一部です。
そして最近では、神社参拝や「願いをかなえる」ということについてのいわゆるスピリチュアル系といわれるYOUTUBE動画を数々視聴して、暮らしの参考にさせていただいています。
それらYOUTUBEにアップされた動画のお考えは、潜在意識のメカニズムを活かす、思考は現実化するということ、日本文化にある言霊の力を活かすという観点が共通のベースであるようです。
ただ、それらアドバイスの中で、神様の御前での祈りも「〇〇となりました」「〇〇がかないました」と願いが実現した完了形で宣べるというものだけは、できないなあと感じています。
どうしても「〇〇になりますように」「〇〇でありますように」お導きください、お守りくださいとお願いする習慣を変えることはできないのと、そのことは間違っていないであろうとの思い。
79411290_547073196023189_8492858242232221696_n神社で願いが叶えるメカニズムは、こういうことではないか。と長年思っていることを記してみたいと思います。
まず「どうか〇〇となりますように」などのお願い。言葉に出すか、心に念じるかにかかわらずその願い自体にエネルギーがあり、何等か作用するものであるのは間違いないと考えています。
ただし、その願いの作用はその人自身や、そのことの関係者に直接もたらされるわけではないのではと思います。
参拝した人々の願いが、神社内のお社や木々や、その場の清浄な空気など森羅万象である八百万の神々の中にとどまり、そのエネルギーが別の方の願いをかなえることに作用するのではないかと考えています。
わたしの願いがかなったのは、何百年前の方が何か神様に願われた時のエネルギーのおかげかもしれないし、つい先日お参りされていたグループの方々の祈りのエネルギーのおかげかもしれません。
また、わたしのささげた願いのエネルギーは、百年後、あるいは明日のどなたかの願いをかなえることのお役に立つのだと思います。
それが神社という場所で願ったことがかなうメカニズムではないかと思っています。
もちろん、わたしはわたし自身の「どうか〇〇となりますように」という自分自身のことを真剣に願います。
79766450_2650218418406152_4296691008109805568_nだからこそ、そのエネルギーが他の方の願いに作用することができるのだと思います。
この願いが知らぬどなたかの願いのお役にたちますように、とお願いするわけではありません。
このように、その神社に行った善男善女たち相互の力の恩恵を賜るのではないかと思います。
潜在意識は時間を認識しないということや、集合体意識とはそういうことなんじゃないでしょうか。
神社の古さ、大きさ、参拝客の多さはあまり関係ないかもしれません。
ものすごくたくさんの参拝客の願いのエネルギーをいただいてかなえることもあれば、昔から閑散としたお社の数百年前のただおひとりの願いのエネルギーをいただいての願いの実現化もしれません。
そのように思いますので、これからも参拝の折には「〇〇でありますように」と願い続けたいと思います。

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