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水をいただく

今日は1日遅れの七草粥をいただきました。
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結婚してから30年余、スーパーの七草パックのお世話になりながら作ってきました。
今回初めてなのはご神水で炊いたこと。
三輪に転居して半年。最近は毎日のように、狭井神社のご神水をいただきに上り、煮炊きやお茶に使わせていただいてます。
狭井神社は大神神社の北側にあり、大神の荒御魂をお祀りする御所。
そして三輪山への登山口があるところなのです。
そうしますと、大神神社本殿 というか御山は和御魂ということになりますので、
日頃のお力添えに心より御礼申し、国家や地球の安泰を願う御所。
そして荒御魂まします狭井神社で身辺のお願いごとをのべることにしています。
社殿の奥にご神水があり、その場で飲ませていただいたり、汲ませていただくことができます。
社務所で購入することもできます。

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そのようなありがたい御所で本日、思いきってやめた。。というか子どもの時に 戻したことがございます。
それは、手水舎での所作です。
本殿参拝前の手洗いどころでの作法として、柄杓をまず右手に持ち左手を洗い、次に左手に持ち替え右手を洗う。再度右手に持ち替え、左手の平で水を救い、口を清める。
多くの神社でそのように、文字や絵で教えていただいています。
つまり、柄杓に口を一切つけないのだと。
それである時から長年、そのようにしておりました。
(お水が淀んでいたり、凍っていたり、常時流れていない手水舎の場合は、このお清め作法を省略して参拝することも多々ありますが)
けれど、何年経っても未だに水を手に取って口をすすぐ作法がうまくいかないのです。
綺麗な所作ができる方は、それが見た目にも美しく正しいことは重々わかるのですが、うまくできないわたしの場合は神に礼を尽くす品格ある所作にはならず、これから参拝という大事な時に、自分の尊厳も損なわれる感覚に一瞬なってしまうのでした。
神様が近くにまします暮らしとなった今、左手、右手を洗った後、ほんの少し柄杓に口をつけ、口をすすぐ代わりに、ゴクリとはならないぐらいほんの少し、お水を飲ませていただきました。IMG_2380
そして少し念入りに柄杓を洗って戻しました。
柄杓に口をつけると、木独特の優しい感触が戻ってきました。
思えば、伏見稲荷大社近くに住まいしていた小学生の頃は、喉が乾くと友達と手水舎に行って、お水を柄杓に口をつけてゴクゴクと飲んでいたものです。
そういう風にいただくものではないかもしれません。
けれど、すすいで吐き捨てるよりも、ほんの少しいただくことの方が慎み深い日本の感性に合い、その方が水を神と敬う品格ある所作ではないかと思います。
素晴らしい木の文化にも肌で触れる機会でもありますし。
これから、参拝前の清め祓いの所作、そのようにしようと思っています。

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